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有名人志望

有名になりたい。

と、最近まで無理をして、名誉欲というものを持ってみていたが、やっぱりどうでもいいし、いらんわと思って捨ててみたらなんとまあ楽なこと。と思った翌日から胃腸炎になり高熱にうなされ、ゲボゲボと嘔吐を繰り返したのです。行為としては正しいけど、肉体は辛いです。そして、高熱で脳がやられ益々頭が悪くなってしまい、悲しいです。

話を戻して、

そんなに簡単に捨てられるのかと聞かれたが、落ちてる小石を拾って、また捨てるようなものだと言ったら、妙に納得されてしまった。でも、そんなもんだと思う。もともと持っていないものは捨てることも簡単だ。

「歴史に名前を刻む」と聞くとカッコいいと思ったこともあった。だけれども、今となっては「歴史に名前を刻む」ことに意味は感じない、それなら、名前なんか残すより思想とか技術とか詩とかメロディーを残すほうがカッコいいと思った。それが名前を残すことだと言うけれど、思想や詩やメロディーなどの創作物は誰かとその物自体を共有することは難しい。だから、そのときその歌の名前や、作者の名前を使うのだけれども、それは共感するための手段でしかなく、残念ながらその名前には根本の意味は含まれていない。THE ALFEEの「木枯らしに抱かれて」も100年後にどこかの誰かが誰の曲ともなんという名前の曲とも知らず口ずさんでいるかもしれない。

名誉欲は自己顕示欲とも言う。

ただ、芸術家は悲しいかな生きるために名誉欲は人一倍必要だ。完全に経済市場と結び付いてしまった以上、自身の存在をアピールし、世間に名前を売っていかなければならない。いやがおうにもそのための行動をしなければならない。それが現代の芸術家の宿命である。自己顕示欲との戦いである。

そうなのか?
拾ってみた名誉欲をまた道に捨てたとき思った。芸術家とは、頼まれてもいないのに物を作る人なんだろう、と。そう、私は理想主義者なのです。
思えば、コンペで賞を取ると作品を作らなくなってしまう人がいる。選ぶ側にも問題はあるが、観ているこちらはやるせない。この人は賞を取ることが目的だったのだ。
作る場所がないからと言って作らない人もいる、その人はもともと作りたい物などないのだ。作りたければ身の回りに材料なんていくらでもある。
時間、お金がないという。作りたければ、作る為の時間を捻出するし、金がかかるならスポンサーでも見つければよい。そこまでしてやりたくないということだ。

理想主義者なりにこうやって作家を見渡せば、本物は少ないし、作品も少ない。

この考えは通過点でまた変わるのだうか。と思ったが、その前にわざわざ小石を拾ってみたのが間違いで、私はこれからも理想主義者であることに違いはないのだろう。

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